7月25日
ホストファミリーとの待ち会わせ場所に着いたのは、1時近く。
寒い中、ホストファミリーは我々の到着を駐車場で待ってくれていた。
20隊と21隊は同じ地域らしい。19隊のバスは他の会場に向かった。

私と副長2名は同じ家に決まった。スカウトとホストを引き合わせ、特にロストバゲージの家族には着替えなどを依頼した。
全ての家族を送り出した後、会場を仕切ってくれた県コミのジョンスミスに挨拶をして、我々のホストのジョン(別人)の車に乗り込んだ。
暗くてわからなかったが、凄く汚れたランドローバーでてっきりペンキ屋さんかと思った。

自宅につくと、家中、ミッキーマウスだらけ。孫のスカウトは寝たんだと思い明日挨拶しようと思った。
ジョンはこんばんはどうするかと尋ねたので、シャワーを浴びて寝ることをリクエストした。
また、ロストバゲージの対応の協力もお願いした。
なにか飲むかということだったので、早速、ブラックベリーのジュースを飲みたいと言ったところ、冷蔵庫から濃縮ジュースを出して水で薄めてくれた。N副長も挑戦した。

今朝の予定を打ち合わせる。近くの知り合いの家のスカウト達と一緒に活動するが良いかと尋ねられたので願ってもない、現地のスカウト達との交流だと快諾した。
2時過ぎ、寝床に入った。

7時に目が覚める。小雨が降っていた。

昨日の遅い到着に対応してくれたことについてお礼を言い、自己紹介をした。
するとジョンJohn Hortonは52歳独身。ミッキーは自分の趣味だという。寝室はベットカバーがプーさんで、周りの棚は、イーヨ、ピグレット、ティーガーで囲まれていた。
彼は、Greater Manchester East連盟North Tameside地区2nd/1st Hurst団のグループスカウトリーダー。

日本から持参したお土産を渡したら、素敵だと一言いって、机の片隅においた。その後、しばらくして思いつき、私が小物をわけるために使っていた、東京ディズニーランドの2000年イベントの時の布袋を渡すと、ほんとにもらっても良いのかと何度も念を押された。
そうこうする間に、副長達を起こし、朝食をとった。
10時に車で友人宅に向かった。玄関から出てきたのは日本のスカウト達。今日一緒に行動すると言っていたスカウトは、ホームスティをしていたスカウト達のことだったのである。
午前中ショッピングをしにショッピングモールへ。私とジョンとその友人のアラン、ウイン夫妻はコーヒーショップで歓談しながら、ルフトハンザとロストバゲージの対応の連絡を取り合った。
アランは、地区のアドバイザーで奥さんのウィンは成人指導担当の副コミッショナーをしている。
会話の中で汚い車が、オフロード走行を趣味とすることがわかった(泥汚れだったのだ)。
愛車はジョンもアランも、エンジンへの吸気部分を天井まで伸ばした完璧なオフロード仕様だった。

買い物も、高くてスカウトも何も購入しなかったようだ。
昼食をとりに自宅に戻った後、再度近くの博物館(Portland Basin Museum)に集合した。
20人近いスカウトが集合していたが、ほとんどのスカウトは20隊のスカウトだった。
マンチェスターの工業を紹介する博物館で、水路に船を浮かべ馬で測道から引っ張ったところを、エンジン付きのボートで移動する観光名所(the Ashton Canal)だった。

その後、アシュトンの町役場(Town Hall )に表敬訪問。町長とのレセプションの後、貴賓室・議会にも招いていただいた。貴賓室では、守衛官が装飾品を紹介してくれた。そして、守衛官のアイテムである職杖(mace)を皆に代わる代わる持たせてくれた。
めまぐるしいスケジュールにへとへとになりながら感謝。
帰宅すると思いきや、半分程度のスカウトは、アラン宅へ。
仕事用の車だと思っていたクレーン付きのトラックは、道楽用だった。軍用の払い下げで、オフロードに遊びに行ったときに車が転倒したときに起こすためにクレーンが必要なのだと。
その荷台にのって、地元の高台まで悪路を飛び跳ねながら爆走。

展望台で、フィッシュアンドチップスを食べる。寒い。でも夜景が綺麗。
まだ、ロストバゲージが解決していないのに複雑。
他の隊の指導者と連絡を取り合っていると、うちのホームスティは対応がめちゃくちゃいい方だと判明。19隊は、2つに分けられ、スカウトハウスで雑魚寝。一方のスカウトハウスには、シャワーもない。どこかに行く予定もないほったらかし状態のようだ。

日本なら、ホームスティを受ける受けないを明確にし、出来なきゃ引き受けないだろうに、とにかく受けておいてほったらかしという感覚が理解できない。この21WSJのHo−Hoプログラムでは、結構グループステイがあったようだ。
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